理由なんてきっと

理由なんてきっと

桐山照史くんに転がされるblog

いつか虹を

小さい頃は、お花屋さんになりたかった。

中学に入ると、その夢はフラワーデザイナーに変わった。

高校に上がって、専門学校ではなく当然に大学を目指す進学校の波に流された。興味があるのは法律だったから、大学に行けても行けなくても司法書士になろうと決めた。

勉強に関してはなんだかんだ優等生だったから、まあまあ難関な第一志望の大学にも問題なく受かるだろうと周りに確信されていた。普通に落ちた。そのまま第二志望の大学に入学した。

 

大学では法律系の学科に所属。講義を受ける中で刑法への興味が強くなり、ゼミでも刑法を専攻した。

研究テーマを自由に決める個人課題で、テーマ決めに迷っていた私はふと『誰も守ってくれない』*1という映画を思い出した。

事件加害者の家族が目の当たりにする悲惨な実情を知り、自身や社会の在り方を少しでも学んでみようと思った。

当時は被害者側を守る制度がやっと整ってきたような状態で、加害者の家族を保護するような先行研究はほとんどなかった。ゼミの先生からも難しさを理由にテーマ変更を勧められたけど、"せっかくなら自分の興味があることを学んでみたい"と、改めて決意を固めて茨の道を進んだ。

 

ある日突然、家族が罪を背負う。自分は法律を破っていないのに、世間から居場所を追われる。自分の家族が罪を犯すかもしれないなんて露も思わずに生きていても、そんな私でも、加害者の家族に起こる状況は決して他人事ではないように感じた。加害者の家族になった方々、これからなるかもしれない方々のために、私にできることを何でもいいから見つけていきたい、これからの人生で少しでも力になりたい、そして自分なりの答えを形にしてゆきたい……そんな想いが研究課題を進めるごとに強まっていった結果、私は卒業論文でも同テーマを扱って自分なりの結論を必死に探した。

 

加害者の家族を卒業直後から支えるなんて現実的ではないと思っていたから、大学卒業後はとりあえず一般的な仕事に就いて、生活を成立させながら勉強を続けることにした。だから周りと同じように就活を始めて、大学自体の民間就職率が高いという有利な波に乗ろうとした。溺れた。

もう前も後ろもわからなくなった。子どもの歩む道には基本口を出さず見守るスタンスの母に私の方から助けを求め、司法関係の職場を最初から目指してみることに決めた。

大学の同期が内定や公務員試験合格を勝ち取る中、卒業後の春に受ける裁判所事務官と保護観察官の試験を目指して公務員予備校に通った。卒論との両立は心身ともにキツいものがあり、『男 never give up』*2の歌詞が書かれた佐藤勝利くんの写真を送ってくれた姉やいろんな人に励まされながら、必死に目の前のゴールへと歩みを進めた。

 

勉強は好きではないけど、必要とあらば自ら机に向かえる性格のはずだった。それなのに、自宅での学習も、予備校への通学も、日を追うごとになぜだか億劫になっていった。人生を決める試験日は刻一刻と迫っているのに、夢を叶えるための知識も努力も自信も積み上げられず無駄に立ち止まっているだけの自分のことがどんどん信じられなくなり、嫌いになって、もう前も上も向けない状態になってしまった。このまま静かに消えてなくなりたいと布団にうずくまりながら毎日、ただ昼と夜を繰り返していた。

 

その頃の私にとって、唯一の希望はジャニーズWESTだった。曲を聴いて泣き、映像を見て笑い、新しい推し事が決まると全国のフォロイーたちと喜んだ。そうやって命を繋いで、関西の地でジャス民ライフを楽しもうと決意して、大阪での試験を申し込んだら会場が東大阪市だった。ジャニーズWEST初のツアーが決まり、地元には来ないからと遠征先を考えていたら、試験の翌日に福岡公演があると気づいた。推しに会うためなら、重い腰も気持ちも上げられた。全く勉強できていなくても、そんな状態でも試験会場に赴くことを自分なりのゴールにすることに決めた。

 

もちろん試験は落ちて、進むべき方向を見失った疲労でまた引きこもり、それでも社会人としての生存費用のためにいろんな短期バイトをして、働くのがほんの少しだけ楽しくなって、思いつきで派遣登録した先でたまたま紹介された職場に翌日から通い始めた。働きながらまた司法系公務員の試験勉強をするつもりでしばらくは過ごしていたけど、実際は帰宅したら心身を癒やして寝ることしかできなかった。やっぱりだめだった。

疲れや忙しさを理由に努力を怠って夢を諦めるのか、と周りには思われていたかもしれない。半分くらいはあたっているけど、もう半分は私の感じ方次第にさせてほしい。""やろう、やらなきゃ""という気持ちを毎日自分に課すこと自体、物凄いパワーと熱意がいる。気持ちだけ、口先だけだとしても、それだってゼロよりは歩みを進めている証拠だと思う。目に見える努力や成功として形にできれば周りから認めてもらえるのかもしれないけど、周りに認めてもらえなくとも、形にならなくとも、見えない部分にいろんな勝負や成熟が存在することを、私も、みんなも、もっともっと想像して讃えていく方がいい。その方が、やさしい世界になる。

 

そうやって少しずつ自分を責めないようになってきて、これでもかというほど葛藤や遠回りを繰り返しながら生きてきて、自分なりに心得てきた自分なりの人生の歩み方。それをあるとき、親しい人から悪気なく「中途半端」と評価された。確かに職は転々としていたし、口にした自身の夢はほとんど叶っていなかった。でも、それが自分の悔いなき道だったから。泣いた。

決意し、口に出し、目指したゴールテープを一直線に切れる人たちは、狙った的にまっすぐ飛んで刺さる矢のようで、格好良い。私もそんな生き方がしたいと何度思ったことか。でもできなかった。私らしい生き様は、狙った的に矢を放てなくて、他の的を探して、また放てなくて、でもどこかに必ず自分にしか射ることのできない的があると信じて忍耐強く弓を持ち続けるその姿にこそあったのだから。私は、スムーズに生きることに関しては人の何倍も苦手だ。だけど、うまくいかないことを糧にして強く優しく生きてゆくことに関しては、もはやプロだ。

 

綺麗に順調に色をつくって何個も虹を架けてゆく人から見れば、まだ一色さえもつくれずにいる私のことはとんでもなく不器用な怠け者にしか思えないかもしれない。

でも、今に見ていてほしい。

私はどれだけ時間をかけようがいつか必ず、私にしかつくれない、誰もが目を奪われるほどに美しい色たちが並んだ、誰もが心を透かすほどに眩しく鮮烈な虹を、必ず架けてみせる。

 

大学時代に自ら習い事としてやっていたフラワーアレンジメントは楽しかったし、老後に何かしらの形で花と関わりたい夢はずっと持ち続けている。

それから日々Twitterやブログ等で綴っている文章に自分の魅力を見出した私は、小説や詩などを通した私自身の言葉でいつか加害者の家族の方々を含めた多くの人を励ませるようになりたい、という夢に向かって日々模索中だ。そんな中、先日ついに詩専用のTwitterアカウントを設立して、また一歩夢に向かって踏み出せたのが、実は魂の奥底から嬉しい。

 

 

ジャニーズWESTの7年目の集大成ともいえる7枚目のニューアルバム「rainboW」*3を受け取った昨日、私は真っ先に『Rainbow Chaser』を聴いた。心を全集中させるために三角座りで顔を膝に乗せ、流れずスカートに滲みてゆく涙に気づくか気づかないかのうちに2番が始まって、嗚咽した。脳よりも先に心が歌詞を汲み取り、これまでの自分の人生と共鳴させた。

 

"書きかけた譜面と 終わらないHarmony

描いていた音がまだ 鳴らなくても"*4

 

私は諦めない。

生かしてもらってる限り。

 

 

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