君にこの花を
重岡くんにファンレターを書きたい。
けれど、大切で大好きな彼に初めて宛てる手紙はきっと恐ろしいほどの文量と重量を含んでしまうだろうから、切手で送れるものにするためにまずはありのままをこのブログに書き、ふるいにかけようと思います。
私が重岡くんを知ったのは、ジャニーズに興味を持ち始めて見た2014年3月少クラ……ではなく、2012年公開映画『関西ジャニーズJr.の京都太秦行進曲!』の舞台挨拶申込みを親友から頼まれたときでした。当時の私はジャニーズの世界に全く興味がなく、むしろファン界隈になんとなく良くない印象(今思えばとんでもない偏見)があり、親友から布教されればされるほど後ずさりしていたので、「笑顔がかわいい!」「えくぼは恋の落とし穴!」と言われて画像を見せられても「ほ、ほう…」しか返せない人間でした。今とはまるで別人ヤバスティックパイナポー。*1
そしてなんやかんやあって*2私は自ら『ザ少年倶楽部』を見始めたのだけど、その頃には既にジャニーズへの興味関心を持っていたため、ジャニーズWESTという7人組のグループがデビューすること、センターの人は重岡くんという名前であることを自分の記憶にやっと刻むことができました。*3
私がジャニーズWESTメンバーの中で一番初めに惹かれたのは、実は濵田さん。だけど、当時の私が好きになったのは白スーツにハットを被って『Give me』を歌っていた関西Jr.の濵田崇裕さんであって、ジャニーズWESTの濵田崇裕さんではなかった(⇒当初ジャニーズWEST7人の中に私が好きになった濵田崇裕さんがいるのをガチで気づけなかった)ので、ジャニーズWESTのメンバーとして最初に惹かれた人と言うと、それは重岡大毅くんになります。
Sexy Zone目当てで見ていた少クラで、ジャニーズWESTというグループの真ん中にいて眩しく楽しそうに笑う重岡くんの存在は、きっと当時の私の闇を幸せな光で照らしてくれてて。
だからこそ、少クラで重岡くん不在回と直面するたびにとても大事なものを見失ったようで寂しかったし、それを経て重岡くんのいる少クラを見るとすごく安堵してありがたい気持ちになったのを今でも覚えています。
やっぱ重岡くんがいるとほっとする
— 激想ズンズン丸 (@tanosisadaizini) July 16, 2014
ちなみに、私が今のジャニ垢を作ってから一番最初に呟いたのが上記ツイートです。なので、私は満を持して文字に残してしまうくらい心から強くそう感じていて、私にとってこの時点で既に重岡くんはそれだけ大きな影響を与える存在になっていた、のかもしれません。
ジャニーズWESTを知った当初、重岡くんをさらっと見ただけの私が彼に抱いた印象は、お手本通りにキラキラ爽やかイケメンアイドルをこなせているプロ、という感じでした。
けれど、ジャニーズWESTを追いかけ彼のいろんな姿を見ているうち、もしかしたら彼はお手本通りの自分を理想としながらも実現できない場面に多く遭遇し、そのたびに強く葛藤しているタイプの人なのかもしれない、そう思うようになりました。
ちなみに彼の印象が変わるきっかけの大きな一つになったのが、下記です。
あといっけいさんと絡みたいのに
— 激想ズンズン丸 (@tanosisadaizini) November 1, 2014
うまく絡めないしげのジレンマが
たまらなかった
これは先述の、舞台挨拶申込み協力を依頼された映画『関西ジャニーズJr.の京都太秦行進曲!』のメイキング映像にあった場面です。*4
彼の父親役として1日だけ共演していた渡辺いっけいさんと同じ楽屋で待機する間、「しげくん」と呼んで歩み寄ってくれるいっけいさんを相手にどうしても固くなりすぎて会話を広げられず、それでも本当は何年か先に共演したときに覚えていてもらえるような関係を築きたくて、でも結局勇気が出ずに撮影の時間を迎えてしまった重岡くん。
いっけいさんが楽屋を離れるたびにスタッフさんへ
「今回のメンバーやったら誰がこういうのうまいんでしょうね?(スタッフさんは『桐山さん』と回答)」
「(照史くんたちに比べて自分は)まだ16やし(と言いながら床に伏せる)」
「こう見えて神経質、気にしいやね俺」
「人からどう思われてるんやろってめっちゃ気にするから」
「いいんです、こういう人もいていいんです」
「ネガティブ、ネガ岡なんで自分」
などと自身の心情を吐露していました。
この場面を見る約1年前にこんなことをノートに書いていた私は、そんな重岡くんの姿に深く共鳴してしまい、急に彼のことをぐっと近くに感じるようになったのでした。
そして、映画撮影当時とは違って他人の目を気にしすぎずマイペースな振る舞いを見せてくれるようになったその後の重岡くんの変化に心から感動し、私も重岡くんのようになりたいと思って書いたノート(例の場面を見てすぐの誕生日に立てた目標)がこれです。*5
この頃から私は、常に少し先を行く同い年の重岡くんをマイペースに追いかけながら日々を進むようになりました。
しげの睡魔と戦ってる感じがすごくすき。っていうよりうちも早起きしたいけど寝るの大好きで、自分を律するために極端に早起きしようとするけどだめなときほんとだめだからしげの気持ちほんとわかるんだよなあ…今度ファンレターに書こうっと笑
— 激想ズンズン丸 (@tanosisadaizini) April 29, 2015
しげは同い年だけど少し先を行く人生の同志って感じ。負けたくない。うちもがんばる
— 激想ズンズン丸 (@tanosisadaizini) August 1, 2015
しげはいつもうちの半歩先を行く。ああ、悩んでてもいいんだ、しょーもない自分をさらけ出していいんだ、誰にも遠慮しないで楽しんでいいんだ、仕事って極めれば楽しいんだ、しげの姿を見て自分を見つめ直すことがほんとにたくさんあります。同志であり師匠。ありがとう
— 激想ズンズン丸 (@tanosisadaizini) August 25, 2015
しげぴも体調崩しやすい中、なんとか健康を心掛けながらがんばってるみたいなので、私もうまく身体休めながらがんばろうと思ったり。らじばんだり
— こー (@tanosisadaizini) February 7, 2017
重岡大毅くんは、私にとってかけがえのない同世代で、彼の等身大の生き方に負けないように、私も等身大で日々戦っていきたいといつも思います。
— こー (@tanosisadaizini) August 26, 2017
アイドルという立場で自分の人生を全うするために奮闘・成長する重岡くん、本当に尊敬してます、だいすき。これからもお互いがんばりましょう💪♥
「間違っちゃいない」が本当に日々の自分自身の思考回路そのもので、私がぐるぐる螺旋階段のように生きているとき、重岡大毅くんもそうやって生きてたんだなって、自己肯定の壁を何度も上ってきたんだなって
— こー (@tanosisadaizini) December 10, 2018
病み上がりなのにリビングで寝落ちしてしまい、3時頃に目覚めて一瞬後悔と猛省の闇に覆われそうになったけど、かつて理想の時間に早起きできなかった時点で1日が終わったように感じると言っていた重岡大毅くんがそうではなくなったエピを思い出して、私もその時点でできることを前向きにやりきれました
— こー (@tanosisadaizini) March 24, 2019
将来のしげちゃんの年齢にテンション上がるの良いけど、彼がそうなら自分もそうなんだからな?あ?彼に負けないくらいちゃんと素敵な年の取り方していこうな?わかったか?
— こー (@tanosisadaizini) May 2, 2020
FB4月号しげおかくんと、私。 pic.twitter.com/chPrqPK08L
— こー (@tanosisadaizini) March 11, 2021
私は仕事になるとどうしても身構えてしまって表情も固くなるのだけど、前はそうだった重岡くんが今や天真爛漫な姿で仕事をしているのだから、私もそこを目指したい。努力で咲いてゆく天才の彼は、いつも私の少し先を生きている。
— こー (@tanosisadaizini) June 1, 2020
重岡くんは自分の弱さや現実の厳しさと日々向き合いながら生きている私と同じ人間、いつもそう思います。
けれど、重岡くんはジャニーズWESTというジャニーズグループでセンターを務めるトップアイドルであり、映画やドラマに出演するたび多くの人の心にその姿を強く刻む実力派俳優であり、音色も言葉も巧みに使い分けては聴く人に深い感銘を与える作詞作曲家でもあります。
葛藤しながら人生を謳歌している点では似ていても、華やかな才能で世の中を照らしてゆく重岡くんと、地味な凡人としてお金を稼ぐためだけに働く私とでは、比べるのも烏滸がましい程の差があるのは言わずもがな。
そんなふうに、ついつい感じてしまいます。
でも、きっと本当は誰もが自分の才能で世の中を照らしてゆくことができる気がするのです、重岡くんと同じように。
華やかと地味、非凡と平凡、大規模と小規模、などの違いはあれど、自分の個性や才能を存分に生かして周りを照らしながら生きていれば、誰だって重岡くんの目指す『勇者』になれると思うのです。
重岡くんは、みんなが日常のモンスターと戦う剣や盾を作る鍛冶屋になりたい、と言っていました。
そうしてみんながモンスターに打ち勝ったとき、自分も本当の勇者になれる気がする、と。*6
それなら私は、みんなが日常のモンスターと戦う中で悲しさや寂しさや虚しさや疲れを感じたときにその心を癒やす花を、みんなが日常のモンスターに打ち勝てたときにそれを思いきり喜んで誇りにできるお祝いの花を、いつでも誰にでもそっと差し出せるお花屋さんになりたいです。
現実の仕事は花屋ではないけれど、目の前の人それぞれにぴったりの優しさを、私だから差し出せる一輪の言葉を、私は大事に育ててみんなにプレゼントしてゆきたい。
私には重岡くんのような才能はないけれど、あらゆる人の幸せを想って温かい心と言葉で包み込む才能なら、もしかしたらあるんじゃないかって、年々そう思えるようになってきました。
自分でも凄いなあと感じたのは、過去にデパートのベンチで隣に座っていた見知らぬ外国人の女性が一人で号泣し始めたとき、何と言葉を掛けていいかわからない代わりに自分のチョコレートをそっと差し出せたことです。
他にも、身近な人や知り合いへの連絡はもちろん、一方的に知っているだけのフォロイーさんが落ち込んでいるときにもすかさずマシュマロやリプで励ましの言葉を送るなどしているのですが、自分が差し出した優しさによって相手が癒やされてくれたり喜んでくれて、それによってまた勇者としてモンスターに立ち向かえるようになってくれたとき、私も誇らしい勇者になれたようで魂の奥底から幸せを感じます。
重岡くんの言う""勇者になる""とは、それまで自分が経験してきたつらく厳しい日々が誰かを救うことで報われる、という意味でもある気がしてきました。
鍛冶屋の重岡くんが作る剣や盾は、重岡くんが重岡大毅として生きる中で対峙してきたからこそ知っている恐ろしく手強いモンスターたちを、それを退治してきた今の重岡くんだからこそ作ることのできる、唯一無二の武器と防具です。
『間違っちゃいない』では、周りと比べて不得手や弱さを感じてしまう自分自身をモンスターから守ることだけで精一杯だった重岡くんが、『ムーンライト』では周りの目を気にせず一心不乱に唯一無二の光を生み出すことで、モンスターから""君""を救おうと決意しました。
そこには、周りと比べて不得手や弱さを感じてしまう自分自身だからこそ生み出せる""一輪の光""が、見つけて照らせる""夜の底""があるのだと自覚した重岡くんが存在するような気がします。
否定しがちだった自身のことを肯定できるようになっただけでなく、そんな自分だからこそ誰かの役に立つのかもしれないと感じられるようになった(のかもしれない)重岡くんの姿は、私を襲う夜の底に一輪の光を届けてくれました。
重岡くんの生み出す光は、思い通りに生きられない苦しみにそっと寄り添ってくれるだけでなく、この苦しみさえもいつか誰かの役に立つのだという希望を与えてくれる、とても力強い光です。
だから私は、これからもずっと重岡大毅くんと共に毎日を生きたい。
重岡くんが必死に作った剣と盾がどんなに凄いのかを胸を張って言い切るとき、私が必死に育てた花たちがどんなに凄いのかも胸を張って言い切ることができるから。
そうやって、私は私を救うことで、重岡くんを本当の勇者にしたいのです、一生。*7
*1:ヤバスティックパイナポー=「ヤバい」の最上級。かつての中島健人(Sexy Zone)による造語。
*2:詳しくはこちら↓
*3:ひどいことに2012年の時点では全くインプットしてなかった。だから2013-2014のカウコンでデビュー発表した瞬間も「名前知らないけどごくせんに出てた厳つい人、ジャニーズWEST4ってグループでデビューするんだ。よかったね」としか思わなかった。
*4:私がジャニーズWESTにハマったので親友がディスクを貸してくれた。
*5:ちゃんと叶ったら斜線引くようにしてる。
*6:『サムシング・ニュー』発売時の重岡くんINBOXから引用。文言は完コピではない。
*7:俳優仕事でも悩み苦しんだ期間があった重岡くんが、それでも進み続けた末に掴んだGP帯連ドラ初主演。そのニュースが本当に嬉しくて幸せだった私はとりあえずブログを書き始めたのですが、気づけば今日はもう8月26日です。改めまして重岡大毅くん、29歳のお誕生日おめでとうございます。これからも末永く、同志として応援し合えますように。