フィルターもレンズも、ただ距離の単位で
私の敬愛するジャニーズWEST桐山照史くんは、決してファンの前では気を抜くことがない、生粋の仕事人。
舞台やステージの上ではもちろんのこと、本来なら素を覗かせてもおかしくない舞台裏映像に至るまで、彼は常に隙なく理想のアイドルを演じ続けている。
そう、私は今までずっとそのように捉えていて、そして彼のそういう部分に何度も強く惹かれてきた。*1
でも、私が抱く仕事人のイメージには無意識に「非情」も含まれる。
だから照史くんにおいても、自身やファンのためというよりは、シンプルに仕事として終始完遂している、という印象があった。
そしてそのために、私は純粋に温かい人としての照史くんに触れると、いつも心のどこかで変な違和感や意外性を感じてしまう。
あんなにも色んな人に好かれているのだから、優しくて心遣いの行き届いた温かい人間なのだと頭ではわかっているはずだった。
それなのに、なんとなく心ではずっと、その事実の理解や整理ができていないままだったのだ。
でも、もしかしたら今日やっと、そんな私の中の照史くんに対する誤解をついにとけたかもしれない。
照史くんは別に、私たちファンの前でひたすら演者として生きているのではない、そういうことではなくて。
物理的に近い距離の人たちに対する態度と同じように、照史くんは双方にとって最高に幸せな関係を築くための振る舞いを、ファンという立場の私たちに対してもただ純粋に貫いているだけであって。
つまり、私たちファンが見ることを許されている照史くんの姿が全てアイドルとしてのフィルターを通されたものであるということは、それこそが、彼の理想としている「ジャニーズWEST桐山照史」と「ジャニーズWESTファン」とのコミュニケーションの形にほかならないからだと、そうふと思えた。
私はずっと、照史くん側の一切はあくまで"ビジネスとして"ファンに提供されている、との認識だった。
もちろん今でもその認識は部分的に正しいと思っている。
でも照史くんは決してビジネスとしてだけではなく、もしかしたら一人の人間「桐山照史」として、誠実に、愛をもって、彼に夢見る私たちファンと向き合ってくれていたのかもしれない。
そう考えると、私の見る照史くんは常に私たちファンへの心遣いで溢れていて、ファンとのコミュニケーションをはかる照史くんは常に真剣そのもので、そうして作られる照史くんと私たちファンとの関係はいつだって最高の状態を目指されている、ということになる。
なんて幸せなのだろう。
私はファンという立場で、自担から最高の関係を約束してもらっている、しかも、絶え間なく。
よって、照史くんがファンに隙を見せないのは、決して彼が非情だからということではない。
もちろんそんな結論は当然にわかっていたけれど、改めて今日の機会に、心の中の疑問との決着をこうしてつけておくことにする。
私の敬愛するジャニーズWEST桐山照史くんは、私たちファンに対する温かな思いやりがあるからこそ、今日もこちら側に一切の隙を、どうしても見せてはくれないのだ。