Hello 星野源's Song
私は諦めていた。
諦めたくなんてない、だって大好きな彼の最高の晴れ舞台。
諦めるよう、自分を何度も説得した。
今の私は好きなこと全てに迷わず使うだけの十分なお金を残念ながら持ち合わせていない。
次々に開始される先行申し込みのことなんかいっそ忘れてしまおう、そう思っていた。
でも…やっぱり忘れ去るなんてできるわけもなく、私は自分のわがままな願いを無理なく叶えてくれる手段と口実を必死に静かに探し続けていたのだった。
そんな私を、救ってくれた小さな人がいる。
私の甥っ子、3月で4歳を迎える彼は既に相当な星野源ファン。
何がきっかけはわからないけれど、一昨年の秋*1には星野源の曲を口ずさみ、同じ年の冬には「げんたん」と呼びながらTV画面にかじりついていた。
その後、紅白歌合戦の星野源登場直前にぱちりと目を覚ましてばっちりリアタイ*2をキメたり、ドラえもんの映画を観に行った感想が「げんちゃんの歌よかったね」だったり、自らタブレットを駆使してTVで再生した星野源のMVに合わせて歌いながら創作ダンスを披露したり…挙げるとキリがないほどとにかく彼は、本当に星野源のことが大好きなのだ。
今回のツアーは3歳まで入場無料。
甥っ子と一緒に行くとしても、必要なチケット代は1人分で済む。
私のためだけに払う8500円と、私と甥っ子のために払う8500円とでは重みも価値も全く違う。
甥っ子を大好きな源ちゃんに会わせるためなら…そう考え始めた私はついに堅実な自分を捩じ伏せてしまう大義名分を手に入れて、翼を得た喜びのままに念願のツアー申し込みへと踏み切った。
後日、チケットは無事に当選。
あとは当日を待つだけ…なんて簡単な道程などあるはずがなかった。
叔母バカ発言をすると、甥っ子は年齢のわりにとても賢くて聞き分けが良い。
一度言われたことはずっと覚えているし、相手が本当に困ることや悲しむことは決してしない優しい人。
つい先日も私が楽しみにしていたKing&PrinceのツアーDVD鑑賞を甥っ子に一旦は阻止されたが、その悲しみを訴えかけると彼は「じゃあ一緒に見てあげる」と寛大な対応を見せてくれた。*3
とはいえ私はこれまで甥っ子と2人きりで出かけたことなど一度もないし、やはり3歳児に変わりはないのだから3時間の大人向けLIVEを終始黙って見ていられるような落ち着きも期待できない。
たとえ、心から大好きな星野源のLIVEだったとしても。
決戦の日は近づき、次第に不安で曇ってゆく私の心。
星野源の音楽を心から楽しみにしている他のファンの気持ちが私には痛いほど理解できるからこそ、安易な考えや利己主義を押し通してやんちゃ盛りな幼児を無責任に連れていくわけにはいかなかった。
私は諦めかけていた。
そんな理想なんて、ただの自己満足だって、堅実な自分が囁きかける。
今回は甥っ子の存在が私を星野源のコンサートへと導いてくれた…そう解釈して無難に自分だけで楽しんでくるのが正解のように思えてきた。
そうして甥っ子の母親である私の妹に、一応座席が出たら最終決定するけれど連れて行けない可能性が高いと伝えたのだった。
コンサート前日、朝10:00になって座席番号が手元に届く。
緊張しながらスマホ画面を確認した私の目に飛び込んできたのは…目の前に通路、左隣には席がない代わりに手すりのついた踊り場と出入り口を備える、スタンド席。
座席表を見れば見るほど、これ以上ない、甥っ子を連れて行くための神席に思えてならなかった。
一緒に行っておいで、そう誰かに言われている気がして…もう迷わずに突き進もうと覚悟を決める私。
子供をコンサートに連れて行くときの注意点や必要なものを調べ、母と妹家族との連携を丁寧に取りながらギリギリまで準備を進めた。
ついに迎えた当日、私は甥っ子に
・今日来る人は源ちゃんのことが大好きな人たち
・みんなは源ちゃんの歌を聴くから、今日歌っていいのは源ちゃんだけ
と伝えた。
甥っ子は「源ちゃんに会ったら踊る」と嬉しそうに言っていた。
母たちはドーム周りで待機し、私は甥っ子とともにドームの中へと入っていく。
コンサートが始まるまで、甥っ子から何度も「帰ろう」「遊びに行こう」と言われた。
甥っ子が駄々をこねてしまえば、そこで彼のドームでの時間は終わってしまう。
なんとか源ちゃんを一目見せてあげたい、そう思って説得すると「じゃあ少しだけ見たら遊びに行こう」と彼は言った。
そんなやりとりをしているうちに時は経ち、私の踏ん張りと甥っ子の純粋な好奇心が良い働きをして、ついに私たちは星野源と対面することができた。
甥っ子は「げんちゃーん!」と叫び、そして私の方を向いて「やっぱりたくさん見たら、遊びに行こう」と興奮の表情で伝えてきた。
私はそれがとても嬉しくて、その一言だけで心が満たされた気がした。
無事にコンサートの始まりを迎えられた安堵感、それが私を包み込んでいたときに耳に届いた音楽。
それは、私の待ち焦がれていた最新アルバムリード曲だった。
本当に、本当に無事に星野源の5大ドームツアーに来れたのだと実感した。
隣で踊る甥っ子のためではない…隣で踊る彼のおかげで私は、私が大好きな星野源の音楽の中に辿り着くことができたのだ。
気づけば笑顔で踊る甥っ子の隣で私は泣いていた。
遠い暗闇で1人存在感を放つ真っ赤なアーティストを見ながら、その彼が作り出す究極の音楽空間に導かれ、私は幸せを感じていた。
甥っ子は次々に流れる大好きな源ちゃんの音楽に身を委ね、時折私と肩を組んで一緒に揺れる。
お気に入りの曲が始まると小さな声で自分の好きな曲だと私に伝え、楽しそうにまた踊り出す。
それからふとした瞬間に、「なんでみんな源ちゃんが好きなんだろうね」と素敵な質問を私に投げかけてくれた。
そうして甥っ子の人生初LIVEは気づけば1時間が経過し、大好きな『ドラえもん』まで聴いて全力を使い果たした彼がギブアップのサインを出し始めたので、私はすぐに甥っ子を連れてロビーに避難し、母を呼び出した。
想定より速くドームに到着した母*4に甥っ子を引き渡し、私はまた会場の中へと戻る。
そこから先は、身軽に無心に星野源の音楽を自分だけで堪能した。
けれど時折、星野源の声に重なって甥っ子の歌声も聴こえた気がする。
星野源への想い、星野源の音楽への想いは書き始めると着地点がないからやめておくけれど、札幌市民ホールコンサートと札幌ドームコンサートの本質が全く変わっていないことにはとても感動した。
そして私はやっぱり、星野源という創造神の生み出す『星野源の音楽』をひどく愛していて、結婚したいとさえ思ってしまうほどの居心地の良さに一生寄り添っていたいのだと、改めて強く自覚させられたのだった。
お金には限りがある。
それは貧乏でも、お金持ちでも平等のこと。
でも、限られた財産によって生み出せる価値には限界なんてないように思う。
結局使う人の心や考え方、価値観次第で物凄く価値のあるものにもなるし、その逆にもなってしまう。
好きなことに自由にお金を使えること、それはとても幸せなことだと思う。
でも、たとえ自由に使えるお金がなくたって、好きなことを通じて幸せになる方法はいくらでも探すことができる。
アーティストやアイドルを応援する生活を送っていると、応援したいのにここぞというときに経済的支援ができないというジレンマを感じる瞬間が、決して裕福ではない私にとっては何度も何度も押し寄せる。
アーティストやアイドルのことだけを考えるのならば出せるお金、だけどそれをすることで何かを犠牲にしてしまわないだろうか。
友達へのご祝儀、家族への誕生日プレゼント、同僚との交友費、実家への入金、生きていれば推しに貢ぐ以外にも大切な支出はたくさんあるのであって、それらに目を瞑り続けて生きていくことは私にとって幸せとは言えない。
だから私は今回、『甥っ子との思い出』という付加価値をつけて星野源のコンサートに赴くことにした。
何も考えずに申し込んでいても、最上の愛を押し殺して諦めていても、無難に1人で観に行っていても決して掴むことのできなかった、私が幸せになるために必要な体験。
「ちびっこありがとう」
星野源が終盤で伝えてくれた感謝はそのまま彼と甥っ子に反射させたい。
それから万全のバックアップ体制を組んでくれた母と妹家族にも、改めて感謝が尽きない。
私はみんなに支えられて、みんなを巻き込んで、星野源のコンサートを一生の思い出として刻みつけた。
また次回、自分の状況がどうなっているかはわからないけれど、どんな結果になったとしても、たとえ夢の中だけになっても、私はまた星野源の音楽と対面したい。
いつかあなたに、出会う未来
いつかあの日を、超える未来
笑顔で
会いましょう*5