美しく歪んだ『アマデウス』
これから書くのは
舞台『アマデウス』についての感想と考察。
正直、うまくまとめられる自信が、ない。
全部で3回観劇*1しました。
モーツァルトの生涯概要、劇中に出てくるオペラ作品のあらすじとかも一通り頭に入れました。
それでもまだまだこの作品の真意や細部を理解しきれたわけでもないけれど、それでもなんとかまとめてみる。
そして自分は舞台ヲタではなくジャニヲタであって、照史くんに対するヲタク的視点も無下にはできない、もちのろん。
なのでこれは20代半ばのジャニヲタ、とりわけジャニーズWEST桐山照史くんのファンが書いた、その立場からの舞台『アマデウス』感想&考察、デス。
前置きが長くなっちゃった、のは書き始めるのが怖いからだよー。
でも、書かねば悔いるのみ…いざ!!
『アマデウス』という作品に初めて触れたのは、高校の音楽の授業による映画版鑑賞。
とても観やすい、ユーモアと迫力に溢れた作品で、しかも世間一般的に有名な天才音楽家「モーツァルト」を題材にしているから印象に残りやすい。
とはいえ主人公は「サリエーリ」で、これがまた強烈なキャラクター。
とにかくこの時点で私は、なんとなく『アマデウス』に好印象を持っていて、おもしろい・興味深い作品として自分の記憶にしまいました。
そしてそれから数年後…まさか自担がその舞台に出演するとは…しかも…「モーツァルト」役として!!!
信じられない快挙。3月に発表されたその日のうちにまた映画版借りて鑑賞したくらい嬉しかったんだよ、マジで!!!(cv.中島健人)*2
映画版観ながら、このモーツァルトを照史くんが一体どんな風に演じるのか、松本幸四郎さんとどうやって対峙するのか、婚約者で妻になるコンスタンツェへの愛はどんな声と表情で伝えるの?って照史くんのモーツァルト姿に想いを馳せた。*3
そんなこんなしていたらあっという間に半年が過ぎて、本当に舞台が開演…。
1回目の観劇はものすごくステージに近い席での鑑賞だったので、久しぶりの自担の姿がとても脳裏に焼き付いたという結果になりました。
そして2回目、3回目と観劇が続く中で、物語自体を心から楽しみながら、幸四郎さんの圧巻の演技に驚愕と賛嘆、そして俳優としての桐山照史という人間に、心の底から感激。
「私の神は桐山照史」
観劇後、無意識にそう呟いた*4、ちょっとアブナイ自分。
もし自分が照史くんと同じフィールドに立つ人間だったとしたら、もしかしたら「サリエーリ」と同じ感情を抱いていたかもしれない。
サリエーリは少なくともモーツァルトの音楽に出会うまでは、自分の曲にもそれなりに満足していたんじゃないかと思う。田舎の商人の家にいながら自分が作った曲を口ずさんだりしてたし、ウィーンに移り住んでからもトントン拍子で皇帝お気に入りの宮廷作曲家まで上り詰めたのだから、自分に音楽の才能があることを自覚していたというのが自然。私が見た限りでも、モーツァルトに出会うまでのサリエーリにはある程度自信があるように見えました。振る舞い方とか、周りの人間を見る目とか。
でも、サリエーリは聞いてしまった、出会ってしまった。
『モーツァルトの音楽』に。
サリエーリはモーツァルトの人格それ自体に憤慨したわけじゃない。サリエーリが一番解せなかったのは、自分がひどく心を打たれ、そして明らかに高度で美的で神の御声にさえ聞こえる音楽が、あの「モーツァルト」という下劣で非常識で自分勝手な若造によって作られている、という事実だったんじゃないかと思う。
音楽に限らず、自分の心を惹くモノというのは人それぞれあって、それがサリエーリにとってはモーツァルトの音楽、私にとっては桐山照史という存在。今ふと思ったけど、同じジャニーズWESTの重岡大毅が出演した映画『溺れるナイフ』*5におけるコウちゃんと夏芽も、もしかしたらお互いにそうだったのかもしれないね。
自分の心をどうしようもないくらいに強く惹きつけるモノ…それは尊敬や嫉妬の対象になり得るもの。
私は照史くんのことを心から尊敬しているし、たまに嫉妬する。アイドルとしての彼は、私にとっては『絶対的』なのであって。誰がなんといおうと、どう評価されようと、私の中では、この世で最高のアイドルは桐山照史ただひとり。それに、理屈抜きで私は彼が作り出す「アイドル︰桐山照史」が大好きだ。
それは尊敬や嫉妬の理由も全て含めた、自分の心のみぞ知る、「自分を強く刺激する存在」「自分の人生に大きな影響を与える存在」ということ。
照史くんについて熱く語っちゃったけど、要はサリエーリにとっての「モーツァルトの音楽」もまさに、これだったんじゃないかな。
ただひとつ違うのは…魅力的な尊敬対象はあくまで『モーツァルトの音楽』だったのであって、『モーツァルト』ではなかった、ということ。
舞台『アマデウス』という作品は、もう、この一点に尽きるんじゃないか…。*6
自分が尊敬できるものを作る人にはやっぱり尊敬できる人格であってほしい、と願うのは多くの人が共感できる普通の感情だと思う。
だからこそ大好きな歌手や俳優が事件や不倫騒動を起こすと、人格の面で幻滅し、そのままその人の全てを受け入れられなくなっちゃう。
でもそれが…サリエーリの場合は最初から最後まで、もう絶望的にその願いが叶わなかった。叶うことがなかった。むしろ彼にとってのモーツァルトは、強い軽蔑に値するくらいの人格。
大抵、こーゆーときって、天才側・嫉妬されてる側が嫉妬してる側に殺されちゃうよね。
『アマデウス』はまさにそれなんだなあ(急に軽い)
ただし、サリエーリの場合はそこに「神」を絡めた。それがなんか面倒なくらいにややこしい…。他人から見たら、「要はあんたあれでしょ?モーツァルトの音楽が好きなのにあいつ自身があんなんだから気に食わないんでしょ?」っていう単純さなのに、何故か彼は「神がモーツァルトをその声として選んだ」「神は自分を裏切った」「モーツァルトを戦場として、私は神と徹底的に戦う」とか言い始める。
もうここがわからなくてわからなくて。物語について考えてるとき必ずなんかもやもやするなあと思ったら、そうだよ主人公であるサリエーリの心情を理解できないっていう壁があるからなんだよ。…ただそうなると、この物語への真の共感は一生できないなあって。
でも諦めたくないので考えます(考えるんかーい)
サリエーリにとっての「神」は、自分の作曲家人生を大成功へと導く唯一無二の「絶対神」だったんだよ…きっと。
そしてその絶対神に自分の一生を捧げるという契約を若い頃に結んだが故に、尊く慈悲深く謙虚に生きなければ良い音楽は作れない、そういう方程式を自分自身で作り出した。
でもそれはあくまで彼と神との「取引」だったから、何も無償で神に仕えようというわけでは決してない。そもそも彼には神への崇拝がない…だから彼は神を、自分の望みを叶える道具として利用していただけ。
なんかね、いろいろ考えてるうちに、サリエーリは相当自分勝手なんじゃないかって思えてきました。
表向きはどうあれ、結局は私利私欲まみれ。
自分がそう決めたからといって、あんな陰湿極悪な方法でモーツァルトを死に追いやらなくてもいいじゃん…非道い。
しかも、神は結局彼を裏切ったの???
サリエーリはなんだかんだ宮廷楽長という最高権威さえも手に入れた。
モーツァルトはその音楽を世間に評価されなかったけど、サリエーリは違う。彼の音楽は当時の誰しもが絶賛した。彼は時の一番の作曲家になった。
彼が神に最初に望んだのは、他でもない「音楽によって名声を得る」ということ。
叶ってるじゃん!裏切られてないじゃん!
ますます、なんだよぉサリエーリは貪欲過ぎじゃん、何が物足りないんだよぉって思っちゃう。
でも、サリエーリとしては納得がいっていない。
それは彼にとっては、もはや名声よりも「最も愛すべき音楽、すなわち最高の音楽を自分が作り出すこと」の方が強い望みになったから、なんだろうな。
芸術家にとって、いや芸術家じゃなくても、自分自身(又はその創作物)に納得するっていうのはたしかにすごく大切だと思う。
だけどそれって、他人を理想として羨んで、妬んで、自分に苛立つ、みたいなことしてたら一生報われないのでは??
他人は他人、自分は自分。そうやって割り切って、自分が創り出せる、むしろ自分にしか創り出せない最高のモノを目指すことが何より大事なんじゃないかな。
たとえ「モーツァルトの音楽」をサリエーリが絶対的存在に思っていたとしても、しかもその評価が歴史的に正しいものだったとしても、それでもやっぱり、サリエーリの考え方は間違ってると思うし、幸せには結びつかないだろうし、私が彼に心から同情することはできない…あくまで客観的に見れば!
…今私が述べたこの、「客観的」な視点。
実はこれが…『アマデウス』では、知らぬ間に欠けてしまう。
そしてそこにこそ、この作品のおもしろさが隠れている気がする。
普通に見れば、というかもし仮に「モーツァルト」が主人公だったとしたら…サリエーリはモーツァルトに嫉妬していろいろ邪魔してくる本当にずる賢い嫌な奴。自分はめちゃめちゃ成功してるくせに、何が不満なんだか、結果的にモーツァルトを殺してしまう身勝手な極悪人。
でもそれが、この作品は、「サリエーリ」が主人公!
物語はすべてサリエーリの目線と価値観で語られる。
彼は自分を可哀想に思ってる、なぜなら自分の望む(モーツァルトが創るような)音楽がひとつも作れないから。
ずる賢くて陰湿なサリエーリの陰謀も、彼の複雑な葛藤や感情ゆえのやむを得ない名案のように思えてくる。
しかも、それを演じているのがこれまた真面目で律儀な印象の松本幸四郎さん。
ますます「サリエーリは最悪な男だ!」なんて言えなくなるじゃん…してやられたりだよほんと。
そして、まさに老人サリエーリは、この物語を自身の作品として観客に語る。
幸四郎さんは『アマデウス』を「モーツァルトが作曲したもうひとつのオペラ」 と表現しているけど、私は、これを創り出したのは他でもない「サリエーリ」だと思う。*7
そして自分で創作しておきながら、自分すらも幸せになれない…そんなサリエーリの悲劇であり喜劇なんじゃないかな。
自らの人生を舞台にしたこの作品…そのBGMは…それは最もふさわしい、彼が生涯を狂わせたほどに愛していた「モーツァルトの音楽」。
嫉妬に狂い、それを全て神のせいにした哀れな極悪人「サリエーリ」と、才能に恵まれながらも未熟すぎる人格ゆえにまともな人生を送れなかった「モーツァルト」、一家のため自分のために奮闘するもモーツァルトを幸せにできるだけの器を持っていなかった「コンスタンツェ」、登場人物のほとんどがまともではない歪んだ世界…だけどそれを表現したこの作品は至極完璧で、どこにも非の打ち所がないくらいに、美しかった。
サリエーリが創り出した物語…だけど実際、というか現実世界では劇作家ピーター・シェーファーが書いた作品。
この脚本自体が、本当に深くて細かくておもしろい。
そしてそれを訳した初代モーツァルト役の江守徹さんと、最初から今までずっと主演のサリエーリを務めている松本幸四郎さん。
今回の舞台はその幸四郎さんが演出も担っていて、そこに大好きな桐山照史くんがモーツァルトとして加わった。
本当に、感謝と、感動。
この舞台『アマデウス』に携わる全ての人に、尊敬と称賛が尽きません。
これほどまでに魅了され、そして深く考えさせられた舞台は生まれてはじめて。
この舞台を脊椎反射的に申し込んで鑑賞できたこと、そうさせてくれた照史くんに、本当に本当にありがとうと言いたい!
しかもね、前々から歌舞伎の世界や人の凄さをぜひともジャニーズWESTのメンバーにも知ってほしい…そう思っていたので、よりにもよって自担である照史くんが、今回歌舞伎界の超大御所である松本幸四郎さんとがっつり共演して、演技指導されて、数え切れないほど色々なことを吸収して…っていうのがとてもとってもとっってもうれしい!!!!!!!
もう、私の人生、悔いなしです。笑
ってなわけで、自分が考えることのできた大体のことは全部書き切れたと思う…ので、あとはぼちぼち細かいところを書き連ねます。
・みんなが驚くところだと思うけど、始まる前から舞台に後ろ向きで座っているのがまさか幸四郎さん本人だとは。人形?でも、あそこにいるべきはサリエーリ…って葛藤してたらそのまま喋りだしたからびっくりしました。幸四郎さん本当にすごいし、この演出にした脚本自体やっぱりすごい
・何度見ても噂話する人たちの影の仕掛けがわからないくらい綺麗。すき。
・サリエーリが老人から一気に若い頃に戻るシーンがとても華々しくてすき。幸四郎さんの声も表情もガラッと変わるので、本当にタイムスリップしたみたい。圧巻。
・モーツァルト登場シーン、その直後にピアノの下をスライディングしてくぐるやつ。観劇初日は普通に見てたけど、2回目に観たときには思いっきりピアノの足に衝突してた…!冷静に考えるとたしかにあの動作も一連の中で綺麗にできなきゃいけないんだから、本当に舞台ってひとつひとつが繊細で難しいなあって改めて思いました。にしても、ピアノがズレちゃうくらい強くぶつかってたから、照史くんも相当痛かったのかも…そのあとすぐ椅子に飛び乗んなきゃいけないし、がんばったね、えらいね、よしよし(ぶつけたところさすりたい)
・照史くんの白タイツふくらはぎ、ずっと見てたかった。願わくば触りたかった(お口に南京錠をかけましょう)
・ところどころのモーツァルトおちゃらけが、東京で見たときよりも大阪の方がより自然体で楽しんでる感じがした。公演を重ねながら、少し素が見え隠れするくらい照史くん的ユーモアを兼ね備えたモーツァルトに、レベルアップしたんじゃないかな。幸四郎さん率いる歴史的舞台でそれを堂々とできちゃう照史くん本当にすごい(´◇`)
・唐突にコンスタンツェに結婚を申し込むモーツァルトが唐突にかっこよくて心臓に悪かったです。2回目の「結婚しよう」と「そうさ」がめちゃめちゃイケボでした。急にモーツァルトがイケメンキャラになったので目眩がしました、どうしてくれるの。責任取って結婚してください(しゃーらっぷ)
・モーツァルトの笑い方、照史くん完璧だったなあ。映画から学んだんだろうか。歴代のモーツァルトを見ていないから日本人ver.の正解がわからないけど、私が思う限り照史くんはパーフェクトでした。すぎょすぎ
・ピアノの弾きまね、松竹座3階から双眼鏡覗いたら指は見えました。ちゃんと鍵盤の上を楽譜に沿って動かしてた。指の動かし方もダンス同様、しゃきしゃき♡
・サリエーリが作った行進曲を弾き終わったあと、満足そうに去っていく照史くんに一瞥された気がしました。とてもクールな流し目でステージから見下されて、私は幸せで天に召されました(戯言として聞き流してもらってのーぷろぶれむ)
・ことあるごとにキラっと光る左手薬指。彼が誰かと結婚したことを示す指輪。見るたび萌え死にしそうでした。(すみません、何度か死にました)
・地味に皇帝がすきです。ムードメーカーな気がしました。いつ見ても同じクオリティの演技をしていた役者さんも素敵。ちなみに「そう興奮したもうな」はアマデウス済のヲタク間で今後使えるフレーズ第1位だよ〜
・コンスタンツェが陽気で力強くてかわいい。大和田美帆さんすごい。コンスタンツェは東京で見たときより大阪の方がより若い気がした。
・サリエーリの語り中にみんなが静止すると、その舞台上の画がとても綺麗で素敵。何度でも見たい。元々セットに華がある分、そこに人も加わると完全に絵画。静止している照史くんはもう言わずもがなめちゃめちゃ美しくてかっこよくて…このときばかりはサリエーリを見ることはできませんでした(ヲタクの性にどうかお許しを)
・茶髪のカツラになった途端、いけめん度が凄まじく上昇するモーツァルトもとい照史くん。これはもう桐山担共通の感想だと断言します。2幕は「照史くんかっこいい」という思考を常にフル稼働させながら物語を追うので脳が破裂しそうでした!僥倖!
・ふと、ファン・スヴィーテン男爵だけが唯一まともな人格だったなあと思ったのでここに書いておきます。よっ、フーガの殿様。
・貧しくなって踊り狂ったあとにお腹抑えて苦しそうにするコンスタンツェに、すぐに毛布をかけてあげるモーツァルトはただただいけめんでした。毛布かけられたい(しゃーr略)
・自分に呆れるコンスタンツェに、それでも陽気なやりとりを誘うモーツァルトがすごく好き。「僕はだ〜れだ」がとても切なくて優しくてかわいい。パパ以外に甘えられるのはスタンツィーだけだったヴォルフィー。可愛い自分の奥さんにかける言葉はいつでも愛に溢れていたと思う。「こっちのキスはどこからくる〜?」もとてもかわいいセリフ。
・魔笛観劇シーンでドイツ市民が葉巻くわえたりソーセージ食べたり好き放題してるときに薫ってくる甘い煙のような匂いが本当にすき。嗅覚でも楽しませてくれるんだ!って感動したし、あの薫りがまたなんとも言えないリアル感がある。本当にあの時代のウィーンにタイムスリップしたいみたい。ちなみにモーツァルト、左隣の人にソーセージ差し出されてパクッて食べ真似してるのかわいい。
・厳格な父のことを時たま「パパ」と呼ぶ赤ん坊なモーツァルト。脚本ではデフォが親父、子供帰りしたときが父さんだったけど、今回はモーツァルト役がショタみを隠し持つ照史くんということもあって、「パパ」というのがすごくしっくりきた。激かわ
・全ての終わりを告げる歌。モーツァルトが机に座って足をパタパタさせながら歌うキスの歌。あの歌が、歌声が、すごく頭に残ってる…。切なさと、かわいさと、照史くんの歌唱力の高さ。私の舞台『アマデウス』の記憶の大部分を締めるシーンでした。ちなみに脚本には「オラーニャ フィガータ ファ! マリーナ ガミーナ ファ!」との記述。この歌だけは、旋律だけは、一生覚えておきたい。これは私にとっての舞台『アマデウス』であり「照史くん演じるモーツァルト」の全て。
最後に…終始、楽しそうに誇らしげにステージ上を駆け回る俳優の桐山照史くんが、本当に格好よくて、私の大好きな人でした。
よくぞここまでモーツァルトを演じ切ってくれた。本当に天才、モーツァルトに負けない才能を持つ照史くん。
そしてありがたいことに情熱大陸で公開された稽古姿。そこでは明らかに本人の人格をもって場の空気を和ませていた照史くん。幸四郎さんにも物怖じせずありのままにぶつかっていたのが印象的。照史くんほんとにすごい!
もちろんアイドルとして歌い踊りTVで活躍する照史くんのことはすごくすごく大好きなんだけど、それと同じくらい、いやもしかするとそれ以上に、俳優として舞台上で輝く照史くんのことが大好きです。
これからもきっといろんな舞台が照史くんを呼んでくれると思う、いやそうに違いない。
また次回その姿を見れるまで、そのときを楽しみにしながら、私も自分にできることをひとつひとつがんばります。
舞台『アマデウス』、最高!!!!!!!